和菓子の歴史
古代
古代人にとっての菓子は天然の木の実や果物で「果子」だったのでしょう。
葉っぱに載せて食べていたのが始まりのようです。
弥生時代
稲作も始まり「餅」があったようです。
満月の事を「望月」と言っていたのでモチと呼ばれるようになったと言う
説がありますがこの頃は月明かりが今より明るく感じられたことでしょう。
この時代にお月見をしてみたかったです。
平安時代
遣唐使が大陸に渡るようになり「唐果物(からくだもの)」が移入されま
した。モチ米やうるち米、麦や大豆に塩を加えて、油で揚げたものなどが
あり、おもに祭事に使われていたようです。
同じ頃(七世紀)「茶」が渡来しました。
いよいよという感じがしますがこの頃の菓子はまだ甘くなさそうですね。
鎌倉時代
禅僧の生活に喫茶の習慣が定着し和菓子が茶道の点心(茶菓子)として発
達しました。
その当時、食事は朝と夕の2回でした。点心とは定食と定食の間に食べる
小食を意味しています。和菓子(点心)は昼食として食べられていたので
しょうか?
鎌倉時代の中頃には、武士と農民が1日に三食とるようになり、点心は昼
食と夕食の間に食べられるようになりました。現代の3時のおやつはここ
からきているようです。(点心には心に一点を加える程のものという意味
もあるようです)
この頃、点心として肉や野菜を詰めた饅頭が渡来し、後に小豆餡を入れた
「饅頭」に変化していきます。
室町時代
武家社会を中心に「茶の湯」が発達しました。
茶道の確立とともに、茶席でも菓子が発達したようですが、この頃の菓子
は木の実、アワビ、松茸の煮物、味噌を付けた餅、焼き栗など料理の一つ
として長い間「茶の肴」ともよばれていたようです。
安土桃山時代
南蛮貿易によりポルトガルやスペインから金平糖、ぼうろ、カステラなど
卵や砂糖がふんだんに使われた菓子が輸入されこれらの菓子の製法が和菓
子の発達に大きく寄与しました。
江戸時代
砂糖は貴重品で薬屋でも売られていたほどでしたが京都を中心とした「京
菓子」と江戸を中心とした「上菓子」が競い合い和菓子製造技術は大きく
発展し現代の和菓子と変わらない優れた菓子が生まれてきました。四国の
和三盆糖が誕生し、さとうきびの栽培も始まり製糖も盛んになってくると
地方でも神社の参拝客や宿場の茶屋で旅の客に土産菓子も作られ始めまし
た。
明治時代
西洋菓子が伝わり洋菓子と並売する菓子屋も増えてきました。これも和菓
子の成長にとって大きな影響をもたらしました。
大正、昭和時代
全国で和菓子が定着しただけでなく、和菓子屋から洋菓子屋へ変更する店
も出てきました。
第2次世界大戦中は砂糖も手に入らずほとんどの店が閉店状態になりまし
たが昭和20年代後半には平静を取り戻し茶道の一般化とともに茶菓子も
広く知られるようになり今日にいたっています。
和菓子暦
日本には歴史の中で生き続けた多用な年中行事があります。
これらの行事は日本人の生活文化の中で欠かせぬものと言えますが、歴史
と伝統の中で育まれた和菓子は、その年中行事と深い結びつきを持ってい
ます喜びの日や祝いごとの日に和菓子を食べる。
これも生活にうるおいを与える日本人の生活の知恵といえましょう。
5月の和菓子
端午の節句
子供の日、菖蒲の節句。邪悪を取り除くと言われる。
菖蒲(尚武の意味もある)により、男の子の元気を祈ります。(ちまき・
柏餅・節句祝菓子など)
母の日
季節の和菓子
和菓子の由来
柏餅
柏餅は江戸時代から端午の節句には必ず用いられました。柏の木の古い葉
は新芽が育つまで枯れないので子孫繁栄の縁起の良い葉とされたことや、
柏餅を包む手つきが神前でかしわ手を打つ姿に似て、武運を祈願する端午
の節句にふさわしいという意味もあったと言います。
もともと柏の葉は古代から食器として用いられていたことまた、柏の葉の
薬効なども理由のひとつに挙げられると思います。
次回は6月16日の和菓子の日についてのお話をしたいと思っています。
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